友人を見舞うため、ニューオリンズに行ってから、そろそろ4週間が経とうとしている。
あの強行スケジュールの旅行のあと、疲れを癒す間もないまま、なんの偶然か、ニューオリンズ在住の友人が2組、立て続けにLAにやってきた。
その間には、独立記念日の休みのため、偶然できた連休もあり、ニューオリンズから持ち帰った、やりきれなさやら、一人じゃいられないさみしさやら、あたりどころのない怒りやらを、事情を知らないLAの友人あいてにしゃべりまくり、つきあってくれるのをいいことに、カラオケボックスで3時間も歌いまくり、翌朝、声が出なかった。
多分私、この頃ちょっとくるってた。
ニューオリンズ時代、ようするに私のアメリカ生活が始まったときからの友人と、LAにやってきた直後からの友人から、結婚の報告を聞いた。
友人の娘さんは、来年高校を卒業したら西海岸の大学に進みたい、といい、友人に連れられて大学見学にやってきた。ニューオリンズで初めて会ったとき、まだ小学生だった彼女は、年頃のかわいらしい女の子になって、私の前に現れた。
そんな日々を過ごしていたある日の早朝、先日見舞った友人が亡くなったと知らせを受けた。
いつか、それも近い将来この日がやってくることを、みなが理解していたはずだが、
でも、悲しい。
彼女を見舞った日、強い鎮痛剤のせいで、ときおりうとうとしてしまう彼女に私は、
疲れたら、眠ってもいいのよ。
と、声をかけた。すると彼女は、
私、眠らない。だって、時間がもったいないもん。
と、とてもはっきり、こう言った。
告知を受けて、自分に残された時間を知っていた彼女のこの一言に、私は返す言葉なぞ持たなかった。
なんて、一生懸命生きてるんだろう。
そんな彼女を前に、私はまるで阿呆のように、また来るからね、なんて、なぐさめにもならない言葉をかけて、帰ってきた。
ベッドに横たわり、苦しい息のなかでそれでもきっぱりと、時間がもったいない、と言った彼女の顔が忘れられない。
私はといえば、終の棲家と決めたわけでもないのに、ほかに行くところがないから、便利だから、と、だらだらとLAで過ごし、
天職だなんて思ったこともないのに、簡単に稼げるからと、いまだにウエイトレスのその日暮らし。
最期まで一生懸命に生きて、そして、また来てねと笑って私を見送ってくれた友人は、逝った。
結婚や、子供の独立、といった転機を迎えている友人たちもいる。
みな、私の知らないところで私よりまじめに生きている。
みなの知るだらだらしためんどくさがりの私は私のすべてで、ほかの何でもない。
きっと私は、たくさん時間を無駄遣いしている。
もったいない。