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アメリカでしのぐウエイトレスのブログ

バカヤロー!って叫びたいときだってあるんです…。

9月なかば引越しをすませ、荷物も片付いてようやくフツーの生活をとりもどしつつある。

とはいえ、いまだに今までの職場に2時間近くかけて通ってる。

引っ越してきてから、自分の時間は、通勤か、または、運転中眠くなるのを防ぐため寝て過ごすか、にすべてを費やしていて、新生活を楽しむどころではない。それに、通勤にかかるガソリン代も莫大で、欲しいものも買えない。


この状況からも、もうすぐ抜け出せる予定だが、そうすれば、新しい仕事も探さなければならないし、落ち着いて生活できるようになるまでには、もう少し時間が必要かもしれない。




思うところあって、ちょっと田舎に移り住んだ。



LAにやってきたときからキライだった、ガサガサと気ぜわしくて、どこにいっても車がいっぱいで、どこに出かけるにも駐車場の心配をしなきゃならなくて、どんな街にもあるターゲットやホームディポや、ウォールマートやベストバイが近くになくって、いろんな国のアクセントの英語ばっかりで、普通のアメリカとはかけ離れた、日本人には生ぬるい環境のなかで、ヘイ、自分ったらアメリカナイズされちゃってるんだぜ、みたいな勘違いな留学生だらけで、妙に勘違いなヘルシー志向の客がいっぱいな、LAらしさから抜け出して、


それでも、


ネギが買える、食パンも手に入る、焼肉もラーメンも食える、


という、LAの捨てがたい便利さも、フリーウエイをちょっと走れば手に入る。



こんないい場所はない。というか、ネギも焼肉も捨ててLAから遠く離れなければ手に入れることができないと思い込んでいた、望んでいた暮らしが、こんな近くにあったなんて、


ちょっと意外。 というか、今まで気づかなかった。orz



LAの悪口ばっかり書いたが、田舎暮らしの「ここがダメ」も当然ある。


アジア人アクセントの英語をまったく理解しない白人がときどきいて、何度も同じことを言わされる。

どこへ行っても、仕事がのんびりしていて、いい加減。


これって、それこそ都会をちょっと離れると、こうなのね。。。と、実感。

そんなんだから、仕事をみんな移民にとられちまうんだよ。

┐( ̄ヘ ̄)┌


ニューオリンズに移住したばかりの頃、アメリカ人の仕事のあまりのノロさに驚いて、


私って、日本に住んでたら出来ることの半分も出来ないで死んでしまうんじゃないかorz


と、本気で思ったりしたのを、最近思い出して、ふと笑ってしまう。



ま、笑っていられるもの、念願のプチ田舎暮らしを手に入れたという興奮の醒めぬ、


今のうちだろうけど。



と、オトナの余裕を見せたりしてるが、じつは引越ししてから、すでに何度か、


アメ人店員のあまりのアホさに、



ブチ切れている。



田舎暮らし、バンザイ!

復活



長かった、ネットなし生活。。。。orz


これでようやく、新生活スタートって気分なのだが…。






気づいたら、ずいぶん長い間放置してしまっている。

じつは、引越しとかちょっと考えてて。

というか、ハリケーンでニューオリンズからやってきたとき、緊急避難的に、とりあえず、と借りた、ちょー狭い小屋のようなところに、

とりあえず4年

も住んでしまった。


そろそろ引っ越したい、と何年も考えつづけ、ようやく実現しそう。

そんなワケで、アパート探しで、PCフル稼働。
オーバーヒートして、電源が落ちる我がラップトップ。


なんとかせえや、おまえ…。(-_-メ


そんなこんなで、ブログを置き去りにしていたのだけど、


今日、久々にメールチェックをしてみた(←これがまたすげー私らしい)。


多量にジャンクメールのなかに、なつかしい名前。

中学時代の友人からの同窓会の報告。


そのなかに、

Aちゃんと、Bくんが、みみのブログ読んでるってよ(^O^)/





いけない。忘れられちまう。

と、あわてて更新してみた。



引っ越しが一息つくまで、どうなることかわからないけど、
もちょっとマメに更新しなきゃな、と


反省 orz






いろいろあって、長く放置してしまいました orz


そろそろ再開しようかと思ってます。

もうしばらくお待ちください。

友人を見舞うため、ニューオリンズに行ってから、そろそろ4週間が経とうとしている。



あの強行スケジュールの旅行のあと、疲れを癒す間もないまま、なんの偶然か、ニューオリンズ在住の友人が2組、立て続けにLAにやってきた。


その間には、独立記念日の休みのため、偶然できた連休もあり、ニューオリンズから持ち帰った、やりきれなさやら、一人じゃいられないさみしさやら、あたりどころのない怒りやらを、事情を知らないLAの友人あいてにしゃべりまくり、つきあってくれるのをいいことに、カラオケボックスで3時間も歌いまくり、翌朝、声が出なかった。


多分私、この頃ちょっとくるってた。




ニューオリンズ時代、ようするに私のアメリカ生活が始まったときからの友人と、LAにやってきた直後からの友人から、結婚の報告を聞いた。


友人の娘さんは、来年高校を卒業したら西海岸の大学に進みたい、といい、友人に連れられて大学見学にやってきた。ニューオリンズで初めて会ったとき、まだ小学生だった彼女は、年頃のかわいらしい女の子になって、私の前に現れた。



そんな日々を過ごしていたある日の早朝、先日見舞った友人が亡くなったと知らせを受けた。


いつか、それも近い将来この日がやってくることを、みなが理解していたはずだが、



でも、悲しい。



彼女を見舞った日、強い鎮痛剤のせいで、ときおりうとうとしてしまう彼女に私は、


疲れたら、眠ってもいいのよ。


と、声をかけた。すると彼女は、


私、眠らない。だって、時間がもったいないもん。


と、とてもはっきり、こう言った。



告知を受けて、自分に残された時間を知っていた彼女のこの一言に、私は返す言葉なぞ持たなかった。

なんて、一生懸命生きてるんだろう。


そんな彼女を前に、私はまるで阿呆のように、また来るからね、なんて、なぐさめにもならない言葉をかけて、帰ってきた。


ベッドに横たわり、苦しい息のなかでそれでもきっぱりと、時間がもったいない、と言った彼女の顔が忘れられない。



私はといえば、終の棲家と決めたわけでもないのに、ほかに行くところがないから、便利だから、と、だらだらとLAで過ごし、

天職だなんて思ったこともないのに、簡単に稼げるからと、いまだにウエイトレスのその日暮らし。



最期まで一生懸命に生きて、そして、また来てねと笑って私を見送ってくれた友人は、逝った。


結婚や、子供の独立、といった転機を迎えている友人たちもいる。



みな、私の知らないところで私よりまじめに生きている。


みなの知るだらだらしためんどくさがりの私は私のすべてで、ほかの何でもない。

きっと私は、たくさん時間を無駄遣いしている。



もったいない。